“化学者C助教授の一日”の真相

学園だより第28号 私の研究室

“化学者C助教授の一日”の真相


重要な経験となる

 通常「勉強する」の英語訳として使われる“study”を,我々は研究いう意味に用いる。私は英語は得意ではないので間違っていたらご指摘頂きたいのだが,学校で教わる勉強は“learn”のほうがあてはまっていると思う。研究を始めてから“study”にはもっと自ら新しいものを探し出すと言うような意味が強いのだはないかと思うようになった。世間一般の人々を含めて多くの人が勉強という言葉から連想するものは受験勉強であろうと思う。これは全く勉強というものを矮小化しているということが,もっともっと色々なところで強調されるべきである。

 自然科学で最も重要なのはその体系の中に組み込まれた論理を知ることである。高等学校までの勉強では,この論理はあまり身に付かないだろう。多くの人はこの論理を研究を通じて自然に身に付けていくのだと思う。専門的研究経験のない人の多くは恐らく永久に身に付かない。独学で身に付けることが不可能なのではないが,相当深く勉強する必要がある。本学に入学してくる学生が受験勉強以外の勉強をしてくることは少ないようである。せめて先生になる前に少しでも本当の勉強を体験させてあげたいと思う今日この頃である。

 最近は下火になったのであろうか,テレビでUFO番組やオカルト番組がはやった時期があった。結構高い視聴率を誇っていた。あのような番組の中で使われる論理に飛躍があること,荒唐無稽であることに気がつくことができるようになる程度の科学教育がなくしては科学技術立国などほど遠いと思うのは私だけだろうか。

 


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