学園だより第44号

「私の学生時代」

先生,せんせい,セんせ

武田 清
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私の学生時代」というコーナーなのだが,「先生」という言葉について,自らの経験を書こうと思う。学生時代,もしくはそれ以前の経験に端を発しているので,趣旨と全くはずれるわけではないだろう。タイトル最後の「セんせ」は最初の「セ」にアクセントを付けて読んでください。

大学研究室での経験

私は理学部化学を専攻した。学科にもよるが,ほとんどの理工系学部では,学部4年次で研究室配属がある。4年になって,私もある研究室に入った。1週間ほどして,その研究室で助手をしていた人に,「○○先生」と呼びかけて,怒られた。「僕は先生じゃないから先生とは呼ぶな」というのである。私はその人を先生だと思っていたので,なぜその呼び方を拒否されたのか,理解できなかった。よく注意していると,その研究室では,助手だけでなく,学生も助手も助教授も互いに先生とは呼ばず,「○○さん」か「○○君」と呼び合っている。教授も,学生からは「先生」と呼ばれていたが,他の教員からは「さん」付けだった。

研究室内で,皆がそのような呼び方をしていた,そのココロは,次のようなものであったろう。「学問の世界では,基本的にみな対等の立場で,権威に振り回されてはならない。権威は自由な思考を制限し,真理探求への壁を作ってしまうからである。”先生”という敬称が,権威を形作るとしたら,学究の場では,それを排除しなければならない。」このことを,あの頃の研究室の構成員全員が,明確に意識していたかどうかはわからないが,権威というものを感覚的に拒絶していたのだと推察する。ただし,理学部にある研究室がすべてこうだということはなく,研究室ごとに様子は全く異なる。研究室によっては,立派なピラミッド型階層構造を形成しているところもあるし,その研究室で必ずしも創造的な研究ができない,というわけではない。

いずれにしても,私が学部4年次から博士課程修了までの6年間を過ごした環境は,前述のような場所だったので,それなりの知り合いになると,できるだけ「○○さん」と呼ぶように,今でも心がけている。周りの学生達からも,そのように呼んでもらえる状況になればよいとも思っている。私が本学に採用された当初,歓迎会などで「さん」付けで呼んでもらうようにお願いしたこともあった。大学の教員はそのように呼んでくださることが多いが,学生はだれも「武田さん」とは呼んでくれないので,面倒になってお願いはやめてしまった。

蛇足だが,教員を「先生」とは呼んでいなかったが,当然目上という意識はあったので,いまで言う”タメ口”をきくような事はなかった。生意気な内容の言動は,多々したと思うが,その場合も言葉づかいは,ぞんざいにならないように注意していた。その程度の目上への節度は知っていたからある。

湯川秀樹博士

話はさかのぼる。私がなんとなく理科好きになったのは,小学校の頃に読んだ,湯川秀樹博士の伝記がきっかけである。ご存じのように,湯川博士は,中間子という素粒子の存在を理論的に予言した業績で,日本で最初のノーベル賞を受賞した物理学者である。私は,湯川博士の伝記を読んだ名残か,高校時代には物理学を志し,理学部物理学科を志望していた。ところが入学試験で不合格になり,第2志望の化学科に入学することになった。これが現在まで化学を専攻している,ほとんど唯一の理由である。今でも,化学よりも物理学の書物を読むときに,より多くの知的興奮を覚える

さて,就職してから,本学のとある先生が,湯川秀樹博士を「湯川先生」と呼ぶのを印象深く聞いたことがある。私にとって,湯川博士は,伝記を通して知るようになった,いわば歴史上の人物であって,「先生」という敬称を使う対象ではなかったので,新鮮に思えたのだ。もちろんその人にとっては,湯川博士は親しみを含めて呼ぶ対象であったに違いない。大阪あたりでは,今でも,豊臣秀吉太閤様と,親しみをこめて生存当時の呼び名で呼ぶ人もいるから,このあたりの感覚は人それぞれということだろう。

先生と先生

高等学校までの先生はどうか。中学校時代に部活の顧問をしていただいていた先生は,同僚教員を「さん」か「君」をつけて呼んでいた。フレンドリーな感じでよい印象を持っていた。しかし多くの場合,教員どうしは互いに「先生」と呼び合っているのではないだろうか。教員どうしが互いに尊敬しあって,そのように呼んでいるならごく自然である。しかし,事実はそうではないらしい。先生どうしが先生と呼びあわなければ,生徒がついてこないからだという。教員どうしが尊敬しあう「ふり」をしているいうことだ。教員としての資質を,自ら向上させていこうとする態度を常に持っていることこそこそ,生徒を引っ張っていく力になりうるのだと思うのだが。そのようなメッキはいずれはがれてしまうに違いない。思い入れがある分,「先生」が安売りされているように思えて残念だ。

「先生と言われるほどの○○でなし。」

「先生」が揶揄の対象となることもあるのだ。(○○の中が分からない人は,三省堂「新明解 国語辞典 第四版」を参照してください。)


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